江戸時代から尼崎の中心地として機能

再開発で進化する尼崎市の阪神尼崎・JR尼崎・JR塚口エリア 再開発で進化する尼崎市の阪神尼崎・JR尼崎・JR塚口エリア

注目スポット

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尼崎市の「阪神尼崎」「JR尼崎」「JR塚口」駅周辺は、再開発によって整備され、利便性が高くなった人気エリア。それぞれのまちの再開発前の歴史、再開発の内容、周辺の注目スポットについてご紹介します。

阪神尼崎駅-再開発前の歴史

城下町として栄えた歴史深いエリア

漁民が住む海に突き出た土地を「あまがさき」と呼んだのが尼崎の地名の由来。現在の阪神尼崎駅から大物駅の南側が、尼崎発祥の地にあたると言われています。
古来港町であった尼崎の南部は、江戸幕府が大阪城の西の備えとして、譜代大名・戸田氏鉄に尼崎城を築かせたことから、城下町として栄えるようになりました。築城のために古くからあった寺院は城の西側に集められ、その地域は寺町と呼ばれます。現在も地名として残る寺町には、数多くの文化財を有する11の寺院や趣きのある石畳があり、城下町の面影を伝えています。
城下町を通って大阪と西宮を結んだ中国街道や、海とつながる水路沿いには、魚市場や生魚問屋、漁師の町屋が並びました。商人たちは、近海や西国各地から入荷した海鮮を京都や大阪方面にも売りさばいたそうです。また、尼崎城の南側には材木問屋が立ち並び、寺町の寺々を建てた大工や商人の町屋が並ぶようになりました。

尼崎の中心的な市街地として機能

明治の後半から始まった海岸部の広大な埋め立て地に数多くの工場が誘致され、尼崎の臨海部は大正・昭和を通じ、重化学工業地帯として発展します。
1905年、日本の都市間電気鉄道の先駆けにもなった、大阪と神戸を結ぶ阪神本線の開業と同時に、阪神尼崎駅が開設。当時、駅の東側には阪神電気鉄道本社が置かれ、南東部には市役所、郵便局、警察署といった公共施設が整っていました。また、国鉄福知山線の支線である尼崎港線が南下し、終点の尼ヶ崎駅(後に尼崎港駅)は、主に貨物の輸送に活用されました。一時衰退していた旧城下町の人口は急速に増えて活気を取り戻し、中心的市街地として機能しました。

第二次世界大戦から復興を遂げたまち

しかし、第二次世界大戦の空襲と疎開によって、尼崎南部の旧城下町を中心とした市街地は再び賑わいを失っていきました。その一方で、尼崎の戦後復興は商店街の再建から始まりました。杭瀬・出屋敷などの商店街が活気を取り戻し、本町通商店街の多くの店舗が移転して開設した中央商店街もこれに続き、現在の阪神尼崎駅から出屋敷駅へと続く大きな商店街が形成されていきました。
また、工業生産も1950年の朝鮮戦争にともなう特需景気によって息を吹き返し、高度経済成長期の追い風を受けて、鉄鋼を中心とする工業都市尼崎が復活を遂げていきます。阪神尼崎駅は、工場の通勤者や他地域から訪れる多くの人々で活気づきました。

各エリアの再開発について

森永製菓塚口工場跡の広大な敷地を利用して、関西最大級となる駅前複合再開発プロジェクト「ZUTTOCITY」が誕生。

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キリンビール工場の移転を機に再開発が行われ、駅前広場の整備や高層住宅、複合商業施設の建設などで街並みは大変貌しました。

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阪神尼崎駅の北側および東地区が空中回廊で結ばれたことから、分断されていた庄下川の東側まで駅前エリアが拡大しました。

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