現在では見つけにくい歴史がいっぱい

再開発で進化する尼崎市の阪神尼崎・JR尼崎・JR塚口エリア 再開発で進化する尼崎市の阪神尼崎・JR尼崎・JR塚口エリア

注目スポット

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尼崎市の「阪神尼崎」「JR尼崎」「JR塚口」駅周辺は、再開発によって整備され、利便性が高くなった人気エリア。それぞれのまちの再開発前の歴史、再開発の内容、周辺の注目スポットについてご紹介します。

JR塚口駅-再開発前の歴史

古来の街道が通る「上坂部」地域

JR塚口駅の東側は「上坂部」と呼ばれる地域で、1889年以降は園田村、1947年以降は尼崎市の大字として区画されていました。
当地は、古くから尼崎と池田を結ぶ池田街道などが通る街道のまち。現在もJR塚口駅から南東へ徒歩5分のところに、神崎・尼崎・池田・有馬各方面の分岐点を示す江戸後期(1835年)の道標がたたずんでいます。この辺りに茶屋ノ前という地名がついていたことから、茶屋のある宿場町で参勤交代の大名行列もひと休みしただろうと言われています。

近松門左衛門にゆかりのある土地

JR塚口駅から南東へ徒歩10分の位置にあるのは、回遊式日本庭園風の「近松公園」。敷地内には江戸前期に活躍した浄瑠璃・歌舞伎作家である近松門左衛門の遺品約100点を展示する「近松記念館」や、近松門左衛門のブロンズ像があります。隣接する「広済寺」は近松門左衛門の墓所であり、数々の作品を執筆した場所と伝えられていることから、尼崎では近松門左衛門を文化振興のシンボルとして活動を行い、地域一帯を「近松の里」として整備しています。

塚口駅と尼崎港駅をつないだ「尼崎港線」

JR塚口駅の始まりは、地元の有力者たちによって1891年に開設された川辺馬車鉄道(尼崎—伊丹間)の塚口停車場です。その後、数々の変遷を経て路線は国有化され、塚口駅と尼崎港駅(南城内)をつなぐ「尼崎港線」が生まれますが、1898年に福知山線が東海道線と接続すると、尼崎港線は4駅だけを結ぶ支線になります。尼崎港線は、各駅周辺の工場に勤める人々や貨物の輸送に役立ち、塚口駅にも森永製菓や三菱電機が使用する貨物線が敷かれていましたが、バスの交通網の発達やトラックの台頭で、1984年に廃線となりました。

再開発前は森永製菓塚口工場の跡地

JR塚口駅東側の再開発地には、長らく森永製菓の塚口工場がありました。大阪工場の敷地が狭くなったことから、森永製菓は1921年にJR塚口駅東側の広大な土地を取得して、鉄筋コンクリート3階建てのビスケット工場を建設。1926年にはキャラメル製造を開始し、大阪工場の廃止後は、塚口工場が同社の主力工場の一つとなりました。戦時期の軍による管理監督時代を経て、1951年にはチョコレート製造設備を完成。しかし、群馬県の高崎工場に生産を集約する方針になり、塚口工場は2013年に閉鎖されました。
また近隣では、塚口工場の委託を受けて乳牛飼育が始まりました。1953年に塚口駅北側に開設された牧場では森永製菓だけでなく、学校給食や一般家庭にも牛乳を供給。当日の塚口駅周辺は森永の工場だけでなく、のどかな風景も見られました。

各エリアの再開発について

森永製菓塚口工場跡の広大な敷地を利用して、関西最大級となる駅前複合再開発プロジェクト「ZUTTOCITY」が誕生。

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キリンビール工場の移転を機に再開発が行われ、駅前広場の整備や高層住宅、複合商業施設の建設などで街並みは大変貌しました。

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阪神尼崎駅の北側および東地区が空中回廊で結ばれたことから、分断されていた庄下川の東側まで駅前エリアが拡大しました。

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